昔の人は運動不足だったのか?
今週のお題「運動不足」
アラサー主婦、はい、私は運動不足です。
自覚するくらい、体力は落ちたし、明らかに自主的に運動なんてしていない。
ただ、生活する上で無意識に勝手に運動となってるところもある。
息子を抱っこして、階段の上り下りをしたり、荷物を持ったりする。
街中をうろうろもする。
子供が居るとなんとなく、車移動よりもベビーカーで歩いた方が勝手が良かったらして歩く方を選んだり…公園に行けば自然と子供と遊ぶ…
なので、何気なくそこまで運動不足ではないと思う。
そもそも、運動不足という言葉、これは戦後に生まれたんじゃないか?と勝手に思う。
戦後、日本は瞬く間に便利な世の中になっていった。
元々、自転車、列車、自動車はあったと思うが基本的には今のように移動がこんなに楽ではなかったであろう。
先日、太平洋戦争が時代背景の小説を読んだ。
そこには、軍人は列車で目的地の九州のある駅に着くとそこから基地までの数キロの距離を走っていった。
という記載があった。
平成生まれの私は驚いた。
いくら軍人といえども、迎えのバスとか来てるものじゃないの?って…(完全に現代の考え方、感覚…)
いや、きっと、昭和の戦争中はそれが当たり前だったんだろう…
運動不足なんかになりようがない。。
常に移動は自分の足なんだから…
それ以前、大正明治も江戸時代も、さらに移動なんて大変だったんだろうから、当たり前にみんな自然と身体を動かしていたはず。
だから昔は運動不足なんて言葉、存在してなかったのではないか。
それが、戦後、いろんな交通網が出来て移動が格段に楽になった。
沢山の鉄道、細かく張り巡らされた地下鉄、自動車、バス、タクシー…
エレベーター、エスカレーターで上り下りだって楽チン。
そう思いきや、
インターネットが復旧し、わざわざ店に買いに行かなくとも欲しいものが自宅に届く。
伝えたい事があれば手紙を出しにポストまで行かずとも、電話やメール、ラインがある。
そして、今、リモートが勧められている。
家から出なくとも仕事が出来る。
食事も、ネットスーパー、ウーバーイーツを使えばいい。
お金を下ろさなくても、キャッシュレスで支払える。
どんどん、便利な世の中に。
そして私達が極力動かなくて済む世の中に変化している。
平成よりも、さらに令和は、運動不足が深刻化するのだろう。
自ら、運動をしようと意気込まない限り。
わざわざ意気込まなくてもよかった時代は、もうなくなった。
その代わり人間はどんどん怠惰に、動物的な部分が(運動能力)損なわれていってしまうのではないか…。
話がそれるが、驚いた事に何年か前からの子供達は和式便所でしゃがんで用を足すことができない子が多いらしい。私の時はまだ学校は和式便所が中心だったのでそんな事はないが、やはり昔出来たものが便利化で出来なくなるものもあるらしい。
人間の退化の始まり、
それが運動不足…。
世の中が便利になることは素晴らしいことだと思う。
ただ、このままだと、運動不足が深刻になり、便利さと引き換えに弱々しくなった我々人間に何か恐ろしい病気や身体の歪み変形などが進行してしまわないかと心配になる…
(他の惑星の宇宙人が実は静かにやってきて我々人間を弱くさせていずれ、地球侵略するための罠なのではないか!?便利化は、人間の体力低下と統一のし易さを兼ね備えた宇宙人からの仕業!?笑)
少しはアナログな部分も残して無意識にでも運動を取り入れていくようにしていかなくてはこの先どうなることやら…
さあ、明日はエスカレーターを使わず階段を選ぼう!
少しでも長く歩こう!!
いや、でも一度でも便利や楽を知ってしまった我々人間は愚か者だからひたすら楽な方更なる便利を求めてしまうんだよなぁ…、
まっさらで何にも知らない子供は、今日も元気よく走り回っている…