私の思うこと。私の勝手な哲学。

アラサーの、子持ち主婦、最強自己満初心者ブログ

昔の人は運動不足だったのか?

今週のお題「運動不足」

 

アラサー主婦、はい、私は運動不足です。

自覚するくらい、体力は落ちたし、明らかに自主的に運動なんてしていない。

 

ただ、生活する上で無意識に勝手に運動となってるところもある。

息子を抱っこして、階段の上り下りをしたり、荷物を持ったりする。

街中をうろうろもする。

子供が居るとなんとなく、車移動よりもベビーカーで歩いた方が勝手が良かったらして歩く方を選んだり…公園に行けば自然と子供と遊ぶ…

なので、何気なくそこまで運動不足ではないと思う。

 

そもそも、運動不足という言葉、これは戦後に生まれたんじゃないか?と勝手に思う。

 

戦後、日本は瞬く間に便利な世の中になっていった。

元々、自転車、列車、自動車はあったと思うが基本的には今のように移動がこんなに楽ではなかったであろう。

 

先日、太平洋戦争が時代背景の小説を読んだ。

そこには、軍人は列車で目的地の九州のある駅に着くとそこから基地までの数キロの距離を走っていった。

という記載があった。

 

平成生まれの私は驚いた。

いくら軍人といえども、迎えのバスとか来てるものじゃないの?って…(完全に現代の考え方、感覚…)

 

いや、きっと、昭和の戦争中はそれが当たり前だったんだろう…

 

運動不足なんかになりようがない。。

常に移動は自分の足なんだから…

それ以前、大正明治も江戸時代も、さらに移動なんて大変だったんだろうから、当たり前にみんな自然と身体を動かしていたはず。

だから昔は運動不足なんて言葉、存在してなかったのではないか。

 

それが、戦後、いろんな交通網が出来て移動が格段に楽になった。

沢山の鉄道、細かく張り巡らされた地下鉄、自動車、バス、タクシー…

エレベーター、エスカレーターで上り下りだって楽チン。

そう思いきや、

インターネットが復旧し、わざわざ店に買いに行かなくとも欲しいものが自宅に届く。

伝えたい事があれば手紙を出しにポストまで行かずとも、電話やメール、ラインがある。

 

そして、今、リモートが勧められている。

家から出なくとも仕事が出来る。

食事も、ネットスーパー、ウーバーイーツを使えばいい。

お金を下ろさなくても、キャッシュレスで支払える。

 

どんどん、便利な世の中に。

そして私達が極力動かなくて済む世の中に変化している。

 

平成よりも、さらに令和は、運動不足が深刻化するのだろう。

自ら、運動をしようと意気込まない限り。

わざわざ意気込まなくてもよかった時代は、もうなくなった。

その代わり人間はどんどん怠惰に、動物的な部分が(運動能力)損なわれていってしまうのではないか…。

話がそれるが、驚いた事に何年か前からの子供達は和式便所でしゃがんで用を足すことができない子が多いらしい。私の時はまだ学校は和式便所が中心だったのでそんな事はないが、やはり昔出来たものが便利化で出来なくなるものもあるらしい。

 

人間の退化の始まり、

それが運動不足…。

 

世の中が便利になることは素晴らしいことだと思う。

ただ、このままだと、運動不足が深刻になり、便利さと引き換えに弱々しくなった我々人間に何か恐ろしい病気や身体の歪み変形などが進行してしまわないかと心配になる…

(他の惑星の宇宙人が実は静かにやってきて我々人間を弱くさせていずれ、地球侵略するための罠なのではないか!?便利化は、人間の体力低下と統一のし易さを兼ね備えた宇宙人からの仕業!?笑)

 

少しはアナログな部分も残して無意識にでも運動を取り入れていくようにしていかなくてはこの先どうなることやら…

 

さあ、明日はエスカレーターを使わず階段を選ぼう!

少しでも長く歩こう!!

 

いや、でも一度でも便利や楽を知ってしまった我々人間は愚か者だからひたすら楽な方更なる便利を求めてしまうんだよなぁ…、

 

まっさらで何にも知らない子供は、今日も元気よく走り回っている…

教育テレビ 子供の頃の事 大人になるとは

夕方になるとちょうど夕飯の支度があるのでそんな時は教育テレビ、いわゆるEテレに子守を頼ってしまう。

 

そのEテレ、自分が子供の時ぶりに見たが

不思議と子供を惹きつける映像、

そして大人もすぐに覚えてしまう歌ばかり。

 

あれは大人が作ってるはずの番組なのにどうしてそこまで子供を惹きつけるのか…

 

親でさえ我が子が今なに考えてるのか、なぜ泣いてるのか不明な時があるのに対して

Eテレは、見事に泣き止ませて子の目線を釘付けにする。

毎日同じ体操の繰り返しなのに、

毎日釘付けになる。

 

子供のメカニズムとかをしっかり研究して番組作りをされてるとは思うが本当に心からすごいと思うし、助かっている。

息子は、乳幼児向けのいないないばあという番組と、幼児向けのおかあさんといっしょがお気に入りである。

そのあとは、みいつけた!という幼稚園高学年くらいの番組になり、次は小学生低学年向け〜と時間帯が遅くなるにつれて対象年齢が上がっていく。

みいつけた!までは少しは興味を持つが、

それ以降の番組はそこまで集中がなくなり徐々にEテレを見なくなる。

 

対象年齢通りに釘付けにするなんて!!

すごい!!!

 

私は子供の頃、

 

大人ってなんで分からないんだろう?

大人ってなんでこんなこともめんどくさがるんだろう?

大人ってなんですぐ疲れちゃうの?

大人に対するなぜ?が多かった。

 

そして、子供らしい宝物とか思うこと、考えること、

絶対に一生この気持ちを忘れない!

と誓っていた。

 

 

そう、

大人にはわからない子供の気持ちを

忘れないと決めたのは覚えてる。

 

でも、どうしても今、決めた内容、

その子供の気持ちってものが思い出せない。

 

宝物がどんなものだったのか、なにを考えていたのか、本当に思い出せない。

 

あの時は大人になっても忘れないと誓ったのに、どうして忘れてしまったのだろう…

 

他の大人が全員忘れてることも、私はその人達とは違うから絶対に覚えている。

と、自信満々であったが、

私も忘れてしまった大人とまんまと同じになってしまった。

これが大人ってものなのか??

 

 

高校生の頃、現代社会の授業で

先生が

 

大人になるっていつのこと?

 

という議題でアンケートを取った。

 

それぞれ配られた小さい紙に匿名で回答を書いて集められ先生が一枚一枚読み上げた。

 

社会人になったら

一人暮らしを始めたら

20歳を過ぎたら

結婚したら

子供が産まれたら

 

いろいろな回答が全員分読まれた。

だけど、私の回答だけ読んでもらえなかった。

 

私の回答は、

自分の親が亡くなった時

 

と書いたから。

その時は深い意味は考えてなかったんだけど、

今考えたら不謹慎だったなぁとも思う。

(もしかしたら高校生時点で親が亡くなってる子がいるかもしれない。大人な先生はそういう子を配慮したんだろう…)

 

親とは一番の頼れる存在である。

その親が亡くなった時、初めて一人前、大人になるんじゃないだろうか。と思った。

 

そう思ったのは、祖母の葬儀の時である。

 

小学生の時に亡くなった祖母の葬儀の時に私の父親はすごく強く見えた。

自分のお母さんが亡くなったのに、この葬儀を取り仕切って、親戚をまとめ、参列者に挨拶し私達家族にも普段と変わらずに接して来る。

おばあちゃん寂しいよーとえんえんと泣きじゃくる私達娘を慰めていた。

涙ぐむ親戚を、目の前にしても父親は涙を流さなかった。

実の母が亡くなったのに、絶対に泣かなかった。

お父さんは悲しくないの?と聞いてしまうほど。

そういえば、父の涙は一度も見たことはない。。

 

とにかくこの葬儀の日の父の様子を、

この姿を見て、私は、これが本当の大人なんだって思った。

 

その印象が強すぎて、そんな事を書いたのだろう。

なぜ先生が読んでくれなかったのかその時は分からなかったけど…今はまぁわかる。

 

 

私は現在成人もとっくに迎え、社会人にもなり、会社に入って自分で稼いで、結婚し、子供もいる。大人になった。 

それでも困った時は、実家の父母に甘える。

でもそれって真の大人なんだろうか?

親に甘えてるうちはやっぱり何があってもまだ子供なのではないか?

 

いや、でも心の拠り所、頼れる場所があるのは別に悪いことではないし、それをするから大人ではないってわけではない。

 

でも父母が亡くなったらなんて考えられない…

それは今は考えなくていい。

まだある面では私は子供ではあるから…

 

 

話が逸れまくったが、

大人が作り出す教育テレビを釘付けになる子供を見て、

子供の頃の気持ちを思い出せない自分がいたことに気づいた。

でも自分はまだ大人になりきれてない。

一体いつ真の大人になるんだろう。

という事が言いたかったわけです。

 

さっきの私の説だと親が亡くなってからだけど…

それならずっと子供でいいや!

 

あえて、いってしまえば、大人初段かな?!

 

父と母は立派な大人に見えるけど

もしかしたら、父と母もまだ大人5段くらいなのも。

 

いつ大人になるかは分からないけど、子供から見て子供の気持ちに理解のある大人でありたい。

 

着る服 矛盾人生

休みの前の日の夜は、遅くまで起きて旦那とお喋りをする事がある。

 

何でその話題になったか覚えてないが、

学生の頃着ていた洋服のブランドの話をしていた。

 

旦那が学生の頃はエイプが流行っていて、

全身エイプを着る事がカッコいいと思っていたらしい。

 

画像を見たけど、当時のエイプは

それはそれは派手…

合わせ方もいかにも

エイプです!

って感じで、正直コテコテ過ぎてダサい。。

 

本人も黒歴史だったと言っていた。

 

なんか、今の学生は何のブランドが流行ってるんだろうね?ってなって、

口を揃えて

分からない〜

となった笑

 

そして、今はクローゼットを見るとシンプルなものばかり。

ブランドのものなんてほとんどなくって、

ユニクロとかばかりかな…。

悪くいえば個性がないのかな。

子供が生まれるとそこまで自分の洋服なんかにお金かけようと思わなくなるしね。

 

今は好きなブランドとか、着たい服とかさ、

あんまりないよねって旦那が言ってた。

 

私は、

外見をそこまで着飾らなくても、

中身の方がどんどん魅力のある人になっているんじゃない?

 

って思ったけど、

調子に乗りそうなのであえて口にはしなかった。笑

 

いつか、もっと歳をとって、

主張しすぎない年相応で似合う格好して、

それでも今よりずっと苦楽や経験を積んで中身も備わっている

カッコいいおじさんになってほしいと思う。

 

そんな時に私はその発言をしよう。

 

着飾らない方が似合うよって。

 

最高の褒め言葉って受け止めてくれるかな…

はたして旦那は、分かるだろうか?

 

そういう私は、いつか、シャネルスーツを着てみたい笑

見栄とかそういうのじゃない。

 

それは、シャネルの創設者ココ・アヴァン・シャネルの生き方に感銘を受けたから。

シャネルスーツの似合う、気品ある大人の女性になれたらもうそれでいい。

中身もシャネルスーツに引けを取らないくらいの魅力的女性!

 

(部屋着はダルダル浮浪者スタイルのくせに、何が気品ある女性だか…笑)

(ブランド物を着なくても、中身が備わってるだとかなんかいろいろ矛盾すぎる。)

 

ブランドが似合う女性に追いつく、もしくは、中身を越えるって感じかな?笑

だから、ブランドで着飾らなくても中身が備わってるからいいんだよって話を前半してたんだけど、、、なぁ〜笑

 

まぁいいや、なんかいろいろ矛盾!笑

 

結果、矛盾人生万歳。!

浮浪者スタイル

私は家では限りなくダルダルした洋服を着ている。

夫もそう。

 

まずおしゃれをして外出しても、家に着いた瞬間全て脱ぎ捨て、ダルダルスタイルへ着替える。

 

Gパン、シャツ、などキツくて仕方ない。

早く帰って脱ぎたいと思う。

 

履いてられない。

家に着いた瞬間すぐに脱ぎ捨てる。

 

部屋着に着替えた時の開放感とともに家に着いた安心感、

外の緊張がほぐれる、

と共に一気に疲れるのでとにかく服装くらいはダルダルを許してほしい。

 

ダルダルのものは、もう何回洗濯したかわからないし、何回着たかもわからない。

 

しかも、部屋着だからとても元々安物。

安物なのに、着用回数は半端ないのでコスパがかなりいい。

 

デザインもやばかったりする。

 

ヨレヨレ、ダルダル、ダサダサ。

 

でもこれが一番心地いい。

家だと本当に浮浪者スタイル。

 

とても人様に見せられない。

 

ピンポーンと鳴ると、

くそ…と思いながらそこまでダルダルではない部屋着か私服に一瞬着替えて

荷物を受け取ると再び最上級のダルダルスタイルへと着替える。

 

正直、もう捨てどきだと思う。

そして、誰が来ても着替えなくてもいいような、どうせ何回も着るんだからちょっと高めでお洒落な部屋着にするべきかなぁと思っている。

 

でも、家でそれを着るとなんかしっくりこないというか、フィット感?

フィットしすぎていたり、丈感が微妙だったり、素材が固めだったり…

肩幅のキツさ、等々いろいろ不具合が出てくる。

 

そしてまた、ヘビロテヨレヨレ部屋着に戻ってしまう。

 

着用→洗濯→畳む→選ぶ時ついヨレヨレを選ぶ→さらにヨレヨレになっていく…

その繰り返し。。

 

とにかく本当に着心地がよい。

捨てられない…

 

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何枚かお気に入りのヨレヨレを。

 

もう、素材の限界値に達してる。

でも、着用をやめられない…

Gとの戦い〜Gの新たなる進化をご提案

今の家に引っ越して来て、2年。

夫と結婚し、今の賃貸アパートに引っ越した。

間取りは2LDKの2階。

築浅で広々窓も多く綺麗。

駅からは徒歩12分ほどだったが、即決だった。

 

昨年は何もなく平和な一年だった。

 

だが今年の春から夏にかけて

なんとGを4回も見かけた…

(Gはゴキブリ、以下G)

いつも同じ場所。

 

キッチンの通気口の辺り。

 

1回目は、小さいのが通気口近くのドアのところにいたので殺しすぐ処分。

 

約2ヶ月後

2回目は通気口近くの壁にまあまあなサイズのが居て、さすがに私は殺せず、風呂に入ってた夫を呼び出し全裸で処理してもらった。

 

その時発狂してしまい、家中を隈なく掃除した。

待ち伏せ式のスプレーを購入し、キッチンじゅうに振りまいた。

 

そこからしばらく発生しなかった。

安心して過ごした。

 

が、また約2ヶ月後。

通気口近くの床であいつが居た。Gだ。

結構なサイズだったのでまた、風呂に入ってた夫を呼び処理。

その日で殺虫スプレーがなくなり、夜中であったがチャリを飛ばして24時間営業の薬局でありとあらゆるG対策を購入。

3000円くらい使う。高い…

 

それから私は恐怖にさらされ、

何も居ないのに幻覚のように視界の端っこに黒いものが見えたりした…

ふとみると、何も居なかったり、息子のおもちゃだったりする。

またGが出るんじゃないかと思うとどこかに居る気がして震えた。

 

私は通気口上の窓が、怪しいと思い、

それから一切その窓を開かずの窓にした。

絶対に開けなかった。

 

それから1ヶ月半。平和な日々だった。

 

それなのに、昨日、小さめのあいつが居た。

通気口近くの壁に。

小さかったので自分で処理したが、どうしても取ることができない。。

寝ている夫を起こして取ってもらいすぐに捨てた。

 

と、ここで夫に

その通気口から入って来てるんじゃないの?

と言われた。

 

たしかにずっとそうかもしれないと思っては居たけど、通気口は閉めた状態にしている。

 

それなのに入ってくることなんてあるのか?

 

でも、いつもここで見る気がして居た。

隙間もあるように思えないけど、もしかしたらあるのかもしれない。

 

とにかくここを塞がなくては!

と思い、養生テープとビニールで止めた。

 

これでもう安心させてほしい。

勘弁してくれ、Gよ。

もう、君のご家族が4匹もここで亡くなっている。復讐のつもりで来るのかもわからないが、これ以上うちで犠牲者を出したくない。

 

 

だいたいGが出た日の献立は、炊き込みご飯系か揚げ物である事が多い。

 

揚げ物は一昨日大失敗に終わった春巻きの事

焦げまくって強烈な匂いを発していた。

換気扇はもちろん強。

 

そして炊き込みご飯。

あの強烈ないい匂いがもくもくと炊飯器から排出され、外にも流れ、その匂いに釣られてG達もすかさずやって来てしまうのか…?

 

出来ることなら滅亡してほしい。

でも滅亡したら生態系が狂ったりするのだろうか?

 

ええい、だったらGを

かわいいと思わせてしまうような風貌に変えたらいいのではないか?

Gは人間とずっと共存し、人間が強力な殺虫剤を作っても、さらにそれに勝ろうと進化するらしい。

まさにウイルスのようだ。

Gも人間も両者負けたくない、のだ。

 

だったら一番早い進化は人間に好かれるような風貌になることじゃないのではないか?

 

例えばもふもふと毛が生えてくりくりのお目目で、ぷっくりしていたらかわいくないか?

そんなかわいいもの、人間が殺せるわけがない。

 

Gは、これにて目標を達成。

人間も、殺虫剤とは無縁の生活となる。

たまに、もふもふしたのが

まっくろくろすけの様なもの…

が落ちた食べカスや、ほこり、髪の毛を食べて掃除してくれる。

G側も今までのように嫌われ者ではなく堂々と掃除目的ですと、好みの家に出入りができる。

 

これならお互いwin win じゃないか??

 

G内閣に総理大臣がおりましたら

今こそ変革の時!ですよ。

 

また話が逸れる。笑

 

とにかく、もうここからこの家では一切のGを見たくない。。

本当に無理。もう。はぁ。

枯葉と揚げ物

お題「ささやかな幸せ」

 

これからの季節、私にとってささやかな幸せであるが、

とても楽しみな事がある。

それは、道路に落ちている枯葉。

 

あれを踏むのが本当に好きだ。

 

独身時代ヒールを履いてても、

さりげなく周りにバレないように、踏んできた。

 

踏むたびに、

サクッサクッとなる音が本当に心地よくて

大人になった今でもつい枯葉が落ちているところをめがけて歩いてしまう。

 

これからの季節、どんどん落ち葉が増えて来る。

掃除する人は煩わしいと思うけど、

私はあの感覚をまた体験できると思うと、ワクワクする。

 

しかも今は子供がいるから、バレないように踏もうだなんてことはしなくても

堂々と踏んで子供と一緒に楽しめる。

 

ただし、湿気った落ち葉は踏んだところで何にもならない。

下手すると靴底に付いて厄介になる。

 

カラッカラに乾いた落ち葉を吟味して、探しながら歩くのだ。

 

そしてあまりにも大きすぎるのもだめ。

たまに恐竜の足型みたいな形したでっかいのがあるけど

あれは期待通りのサクッと感にならない。

でかすぎてうまく潰れない。

 

居酒屋のお通しで出てくるえびせんのような大きさ形がベスト!!!!!

 

昨日の4連休最終日、午前中は晴天で涼しかったので子供と夫と、川沿いの並木道を散歩した。

 

なんと、そこはまだ少量ではあるが枯葉の宝庫であったのだ。

もうこの季節がきたか!と。

 

サクサク枯葉を吟味し踏んで歩いた。

 

キャラメルポップコーンの、キャラメルがたくさん付いてるのを選んで食べる感じというか…

 

うどんの中に入れた揚げ玉がふにゃふにゃになる前に急いでサクサクのままで食べる感じというか…

 

マックのポテトで、カリカリのやつを発見して味わって食べる感覚というか…

 

霜が降りている土をザクザク踏む感覚というか…

 

なんとも言えない、選ばれたカラッカラの枯葉を踏むのは、こういう感じなのだ!!!

 

夫はまったく理解ができないとの事だった。

 

息子が喋れるようになるまではまだまだかかりそうだけど、もう少ししたら2人で手を繋いでサクッサクッと踏みながら歩きたい。

 

そんな事をしながら歩いて、今日の夕飯は春巻きを揚げようと思った。

揚げ物なんて面倒なもの本当に気が向かないとやらない。

やってくれる奥さんはすごい方なので大事にして下さい。

 

そして、案の定失敗した。

大量の油ハネと、加熱時間のミスで真っ黒に焦がしてしまった。漫画のように。

 

だが、夫は、春巻きは何層かになってるから

外側の焦げたのをむけば大丈夫と言ってくれ、

言われた通り剥くと中はおいしそうなキツネ色の春巻きだった。

 

まったく私は何をやってるんだろう…

まぁいいか。揚げ物をやっただけで誇らしい。

なぜか今日は息子が食欲旺盛だったので、

夫はそれに喜んで気を取られて大して食事の量を欲しなかったのでよかった。

(焦げた部分を剥いていたので、足りないかなぁと思った。)

 

とにかく、カリカリっというか、バリバリというか、サクサクっというか、私はその感覚が好きだ。

 

レシピの

袋にクッキーを入れて潰します

とかの過程もよい。

 

落ちてる袋入りのせんべいを誤って踏んでしまった時のバリバリ…

やばっと思うと同時に、快感!笑

 

もう少し秋が深まって乾燥が進むと、

外で踏み放題がやってくる!!!

落ち葉が街にやってくる〜♪

 

本当にささやかな幸せ笑

 

バブルについて考える〜夏草よ 兵士どもが夢の跡

昨日は子供をじいじとばあばに預けることになり、夫と2人で空いている居酒屋を探して2人きりで三年ぶりくらい(妊娠前ぶり)に飲みに行った

 

そこで熱く語る…

 

その中のひとつ。

バブル経済について話していた。

 

私達夫婦は、バブルなんて体験してない。

むしろ崩壊後、90年代に誕生した。

平成生まれ。まだまだひよっこ?と思っていたらびっくらアラサー。

 

そんな我々が、自分達が体験もした事のないバブルについて考えた。

 

疑問1そもそもバブルってなんだったんだ?

スーパー簡単解釈

 

元々プラザ合意とかいうアメリカの政策で円高にされて輸出産業大打撃 日本不況気味

日本金利緩和する

銀行からお金借りやすくなる

企業や実業家がお金を借りる

財テクブーム

土地神話で不動産投機や株で儲けるのが流行る

みんな銀行からお金を借りてどんどん土地や株を買う

好景気突入!!!!お祭り騒ぎ!!!

土地と、株の価格が泡のようにぶくぶくと膨れ上がる…

 

そして、国がこれ以上土地価格が上がるのは大変だ!と気づき規制を始める。

 

と、パンッと、バブルが弾ける

 

土地を担保にお金を貸していた銀行は、不良債権だらけ。

土地を買ってしまった企業も、借金が増えリストラを始め失業者増。

さらに、物が売れなくなる。

不況のスパイラルへと突入…

 

そんな時に我々夫婦産まれたんだなぁと。

 

なんだか、バブルがはじけた後に産まれて親に喜ばれたのかなぁとか思ったけど

ちゃーんと育ててもらった。

ありがたいと思った。

 

とにかく景気が良いなんて実感したこともないから

私達夫婦の考えは

そんなにお金っているもんなんかね?

って話になった。

 

バブル期はお金に欲深くなったばかりに、大切なものを見失ってたんじゃないかなー?

まぁ勢いがあって、明るくて、お祭りみたいで良かったと思うんだろうが、

 

そんなことより、ふつうに生活していければよくない?って。

 

これがゆとり世代なのかな?

でもゆとりゆとりって、それを作り出したのは、一時の好景気に踊らされてそのあと取り返しがつかないくらいに不況の日本にした大人達のせいだと…

ゆとりになりたくてなったんじゃない。

この、日本の状況を見てゆとりにならざるおえなかった。。?

 

多分、私達みたいなある程度ふつうに生活できればいいやって人このアラサー世代に多いと思う。

まぁ私達みたいなのが経済を悪化させてるのかもしれないけど…

(必要以上買わないし、高級品も欲しくない…たまの贅沢で充分。)

 

でも、

バブル期を経験したかったなぁとは思うかも。

大失敗しそうだけど…

怖い、底なし沼みたいなのが先に待ってるだなんてさ。

幸せすぎて怖い

みたいな状況なのかな?

 

とにかく、バブル期にはいろいろな建物やリゾートが建てられたようだけど、

今は無残にも更地になっていたり、建物そのままで草ボウボウだったり、してるんだろうなぁ。

 

それを想像してつい思い出したのが、

 

"夏草よ 兵士どもが 夢の跡"

 

松尾芭蕉かな。

 

バブルで、盛り上がってたものも、今となってはもう幻のようになってる、

その侘しさというか、寂しさというか…

 

誰かの夢がそこにあったんだろうって思う、

でも、もうそれは無残な姿になって夢の跡になってしまった。

そこに生い茂る木々たちに語りかけてるような。

 

ロマンというか。なんというか。

バブルで失敗してしまった兵士の方々は、

一瞬でも良い夢を見れたのならば、

それは幸せだったのかなぁ。

もう夢の跡です。

 

コツコツ変わらず生活していた人たちは、

栄枯盛衰の人たちを見て

ざまぁみろって思ってるだろうな。

 

何事もちょうどいいが、ちょうどいい、

 

必要以上の欲を出さず、淡々と。

 

そんなことを語らい、まぁ久々に飲んだのでのどが渇く乾く…!!!

家に帰ってから水を飲みまくる。

これも、お酒の利尿作用で尿が出すぎてるからのどが渇くのか?ちょっと前におしっこの量について考えたのでいきなり尿ネタ笑

 

水分が足りないと口が渇くって、人間ってよくできてるなぁ

 

とにかく、夢って追いかけてる時はいいけど、

手が届いた時になんだかぽかんとする空虚感があって、、、

不思議な感覚なんだけど、ほんとに。

あれってなんなんだろうか…

 

2位がいいのは、追いかけてる時が一番勢いあって楽しいからなのかなー?

 

いろいろ考え語った日であった!